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ryujinoda
ハーベストファーム・桜坂劇場のプロデュース、編集・ライティング業務、高良結香、小林真樹子のマネジメント、etcやっています。長崎県佐世保市出身、趣味は海外サッカー観戦です。
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2012年05月15日

佐渡山豊さんのライブを聴いたのは何年ぶりなんだろう。

 佐渡山豊さんのライブを聴いたのは何年ぶりなんだろう。

 佐渡山さんと初めて会ったのはおそらく1995年か96年。那覇のリウボウホールで、佐渡山さんと三上寛さん、友川かずきさん、寅年生まれの3人のアーティストが集まって「トラトラトラ」というイベントをやったのだ。このライブまでの間、かなり長い期間、佐渡山さんは人前で歌うことをしてこなかった。
 その前後に泡盛のコマーシャルに「ドゥチュイムニィ」が起用されたのをきっかけに活動を本格的に再開。1997年元日にアルバム「さよならおきなわ」がリリースされた。1977年に発表された「イタリアンブーツ」以来、実に20年ぶりの作品発表だった。96年の後半、私はそのレコーディングに随分つき合っていた気がする。録音場所はコザのパワーステーションが中心だったと思うが、ゲート通りのライブハウスJETで、JETをバックに何曲かレコーディングしたこともあった。
 アルバムがリリースされた後は、何度かツアーに同行した記憶もあるが、ややあいまいだ。
 おそらく、そんなこんなで、佐渡山さんの歌は10年近く聴いていなかったのかもしれない。(随分前に名護で聴いたライブのことをブログに書いた記憶があるが…)

 昨夜のライブは沖縄の本土復帰40周年を目前にした、海勢頭豊さんとのジョイントのイベントだった。復帰前の闘争の話やコザ暴動、日本復帰の是非、米兵絡みの事件、喜瀬武原闘争、沖縄のプライド、平和への想い…。二人はさまざまな話題を話しながら、交互に歌っていった。
 佐渡山さんの歌は相変わらずナイフのような鋭い言葉で、様々な矛盾や課題を切り裂いていった。
 これまでも、そしてこれからも決して平坦ではない沖縄が歩む凸凹の道のり。沖縄から大阪の紡績工場に出稼ぎに出た女性の悲しい話。差別が新たな差別を生むという人類館事件の現実。ウチナーンチュの魂は、さまざまな米兵絡みの事件や事故で失われ、引き裂かれたとしても、失われずに今も息づいていて、そして、それは明日へのかすかな光になるということ。
 歌の背景には沖縄の風景があって、吐き出されるメッセージやエピソードはとてもリアルに飛び込んでくる。佐渡山さんの目線は40年以上前からブレがないし、現在的な視点もきちんと備わっているから、音楽から埃臭さも感じない。フォークソングのノスタルジックな感じがまるでないのは、今を生きている証なのだ。ソングライターとしての素晴らしさを改めて感じられたよいステージだった。できればフルサイズのライブを聴いてみたいし、一人でも多くの人に聴いて欲しいと強く感じた。
 オーディエンスがもっと若い層に広がると、いろいろ感じる人も多いだろうなぁと少し思った。

 それと、ローリーと国吉亮さんの演奏が素晴しかった!

◎佐渡山豊セットリスト
中の町ラプソディ/朝日のあたる家/さとうきび畑の歌/焼き討ち通りのバラッド/第3ゲート/人類感事件の歌/ドゥチュイムニィ

  

Posted by ryujinoda at 14:10Comments(1)TrackBack(0)Live Review

2012年05月13日

2003年、夏の記憶。


 ブルース・スプリングスティーンの音楽と向き合うようになったのは、2002年にアルバム『The Rising』が発表された後のことだ。
 彼の音楽は、何となく遠巻きには聴いていたし、アルバムも何枚か持っていた。日本のロック・ミュージシャンの中に、彼の影響を色濃く受けている人たちがいることも知っていたし、そういう音楽を好んで聴いていた。しかし何故、このタイミングだったのかは、自分の中でもうまく説明がつかない。

 『The Rising』は、オリジナルアルバムとしては7年ぶり、E・ストリートバンドと録音された作品としては、実に18年ぶりというアルバム。そこには、前年に起きた、「9.11」ニューヨーク同時多発テロの影響が色濃く反映されていた。
 テロの現場で救助にあたる男たち、大切な人を失った悲しみと孤独な日々、2つのビルが倒壊して空っぽになった空、重苦しさの中で待ち続ける晴れ間、立ち上がろうとする人々の意思…。スプリングスティーンは、忌まわしいテロと、傷ついた人々の心情を、直接・間接的にロックンロールへと昇華させていた。アルバムを聴いて、とても素直に感動した。そしてライブが聴きたいという想いは日に日に強まっていった。




 2003年の夏の終わり、私はニュージャージーへと向かった。マンハッタンからレンタカーで約2時間。ブルース・スプリングスティーンが育ったホームタウン、アズベリーパークに出かけたのだ。
 よく晴れた夏の終わりの海辺の町のボードウォークには、とても静かな時間が流れていた。営業前のライブハウス「ストーン・ポニー」の店の中を覗かせてもらい、スプリングスティーンが、ツアー前のゲネプロをやることもある、コンベンションホールのそばのオープンカフェで、ハンバーガーとコーラを口にしながら目の前の大西洋を眺めた。町中は『MY CITY OF RUINS』で歌われるほど“廃墟”という感じはしなかったが、ひどく寂れていた。営業を止めたホテルやカジノもあったし、崩れ落ちた家屋もあった。同じジャージー・ショアのカジノの町、アトランティックシティに客を根こそぎもっていかれてしまったのが衰退の原因だと聞いたことがある。
 スプリングスティーンのファンでもなければ、ビーチ沿いのボードウォーク以外はとりたてて見るべき場所はないようにも思えたが、それはそのままアメリカの地方都市のリアルな姿なのだと感じた。なんの変哲もないこのアメリカの片田舎の町で、スプリングスティーンが描くあの作品、物語の数々が生まれたということを思うと、自然と胸は熱くなった。




 ナイアガラのそばの町でアレサ・フランクリンを聴いて、マンハッタンに戻り、その夏10日間続いたブルース・スプリングスティーンのジャイアンツ・スタジアム(ニュージャージー。マンハッタンからバスで30分ほど)での最終日の公演に出かけたのは8月31日のこと。そのコンサートを、アリーナの一番前で聴いた。

THE LIVE

 倒壊したツインタワーの隣り町の会場で、「9.11」のメモリアルデーからそう遠くない時期に、アルバム『The Rising』を携えてのライブということで、どこかにある種の影や重さを感じるようなものになるのではと思っていたのだが、そんなことはなかった。世界有数のライブバンドであるE・ストリートバンドが奏でるロック・ミュージックは7万人の観客を終始熱狂に包み込んだ。
 もちろん、『Born to Run』や『Glory Days』、『Promised Land』といった定番の名曲もよかったが、アルバム『The Rising』からの曲の多くを演奏してくれたことが嬉しかった。新作はかつてのヒット曲以上のテンションで披露してくれた。『Waitin' on a Sunny Day』や『Mary’s Place』といった新曲が、あれほどライブ映えするなんて思ってもみなかった!
 ブルース・スプリングスティーンの作品には、物語性のあるものが多い。3分間の曲の中で、様々なシーンやエピソードが、まるで一本の映画を凝するように編み上げられる。
 アルバム『The Rising』の中にも、そうした物語やエピソードがいくつも散りばめられていた。ライブでは、そうしたストーリーの数々を作者本人がロックンロールという手法で直接的に伝えていくわけだ。個々の曲の作られた背景は異なっていても、アメリカに生きる人々の厳しい現実を、市井の目線で見つめて表現するという点において、細い糸でつながっているように思う。そして、その先に歌われる希望は、ブルース・スプリングスティーン自身が掲げたマニフェストにさえも思えてくるのだ。
 この夜、アンコールの最後に『Jersey Girl』を歌われたのだが、一番前にいながら、その時にトム・ウェイツが一緒にステージに立っていたことは、後から知った。
 派手な演出はまるでなかったが、まさに全身全霊を傾けた熱のこもった3時間余りのロックンロール・ショー。それは、これまでにみたどんなコンサートよりも熱く、激しく、大きな喜びに満ちあふれたもので、私はそのマジックに一発でやられてしまった。




 2003年8月31日。この奇跡のような夜は、やや大袈裟に言えば、私の人生のあるべき方向を微妙に変えてしまった。それはもしかすると、見誤ったとも言えるのかもしれないのだが。

Bruce Springsteen & The E Street band
「The Rising」TOUR 2003
August 31 2003/ East Rutherford, NJ / Giants Stadium

◎Setlist
Cynthia/The Rising/Lonesome Day/Night/Lucky Town/Empty Sky/Waitin' on a Sunny Day/Spirit in the Night/Because the Night/Badlands/Two Hearts/No Surrender/Mary's Place/Lost in the Flood/Into the Fire/The Promised Land

1st Encore: Kitty's Back/Glory Days/Born to Run

2nd Encore: My City of Ruins/Land of Hope and Dreams/Rosalita/Dancing in the Dark/Jersey Girl

(続く)

※写真と本文は関係ありません。
  

Posted by ryujinoda at 21:48Comments(0)TrackBack(0)Bruce Springsteen

2011年12月30日

20 years after

 2011年は、1991年にハーベストファームをはじめて20年目という節目の年だった。特に公言はしてなかったけど。20年目の最後を、今夜のゴンチチのお二人のライブで締めくくることができることを、とても嬉しく思う。
 ライブのブッキングみたいなことを始めたきっかけは、ライターとしてもてあました時間を好きな音楽に費やすということにあった。1991年5月、フォークシンガーの大塚まさじさんが最初だった。それがいつの間にかこんなことに…。
 この20年で本数的には1000本近くになるのかな。基本「Don't Look Back」なのだが、20年目のオマケに、その中でも印象的な場面を3つだけ書き留めておきたい。

続きます。

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Posted by ryujinoda at 13:09Comments(0)TrackBack(0)Live

2011年11月30日

Yuka Takara Broadway Night 2011に向けて。

 高良結香がニューヨーク・ブロードウェイの舞台に立って、今年で10年になる。大学を後に、ニューヨークに単身乗り込んで、ショービズの世界で様々な戦いをしていく中で、双六のコマを一つずつ進めるように、その夢をリアルなものにしていった。


Flower Drum Song

 ブロードウェイでの最初のステージはABBAのヒット曲を連ねてハリウッドでも映画化された『Mamma Mia』。このオープニングの直前に「9.11」のNY同時多発テロに遭遇する。ミッドタウンのアパートメントで、「今日死ぬかもしれない」と感じた彼女は、自分の心のおもむくまま、音楽を紡いで表現する道を歩き始めることを決意した。『Flower Drum Song』、『Pacific Overture(太平洋序曲)』『A Chorus Line』、『RENT』、etc。この10年の間に数々のブロードウェイの作品で役を勝ち取るかたわら、沖縄発信で音楽活動も行ってきたのは、とても自然な流れだったのだ。


「Flower Drum Song」Back Stage

 『Broadway Night』は、彼女がブロードウェイで紡いで来た様々のエッセンスを、ホームタウンである沖縄に持ち帰って、新しい世代に伝え、体感してもらうとても大切な場だ。ワークショップでそのスピリットとノウハウを直接伝えて、現役バリバリのブロードウェイのアクター/シンガーと同じ舞台に立つ。おそらく、余所では体験することのできないコンサートだ。


2005年 New York Times


『RENT』、主演のアンソニー・ラップと

 今年の『Brodaway Night』は、12月3日(土)に沖縄コンベンション劇場で行なう。今年も、エイズ/HIV患者のチャリティということで、VISAの取得に悪戦苦闘しつつ、遠いアメリカから海を越えてオキナワまで飛んできてくれる。Alvin Ing、Toby Blackwell、Andy Senor(Andyは来年の日本版『RENT』の演出家なんだって!スゲエ、いつの間に!)、Trisha Jeffrey、Justin Johnston。彼らには最大級の感謝とリスペクトを贈りたい!


『A Chorus Line』back stage

 さらに今回は、演出と振り付けに、やはりブロードウェイで現役で活躍するRobert Tatadを迎える。彼のアイデアを盛り込みながら、高良結香のブロードウェイ10周年ということで、ショーの中に『My Broadway Decade』のセクションを設けた。ここではDecade(10年間)を俯瞰するように、1時間近くブロードウェイの名曲の数々をを立て続けに歌い継いでいく。セットリストを眺めただけでも、マジ圧巻だ!


2008年12月「K-1 world GP final@横浜アリーナ」

 それを支えるバンドが、沖縄で生まれたelement of the moment(エレモ)を中心とするメンバーというのも素晴しい。中村亮(Drum)、小波本正(Sax)、林祐次(Piano)、ガンジー(Bass)、和田充弘(Trombone)、熊木敏郎(Guitar)。彼らの演奏はブロードウェイのシンガーたちからも絶賛されている。桜坂の小さなバーで明け方まで演奏している音楽好きのバンドマンが、世界も認めるシンガーたちからも絶賛されるというのは、かなり痛快な話だと思う。


element of the moment

 高良の後輩でもある、tomoやnatuki、ayana、maikoをはじめとするダンサーズやワークショップを通じてその技術を積み上げてきた“キッズ”たちも沖縄や東京から30人近くが参加する。
 こうした中から、実際にアメリカでミュージカルに挑戦するという若いウチナーンチュが出てきているという嬉しい事実も付け加えておきたい。


Dance Workshop in Tokyo

 何はともあれ、熱狂の本番まであと3日。アメリカチームはいよいよ明日の夜に沖縄入りする。


Yuka Takara Broadway Night 2011「My Broadway Decade」
詳細はコチラ→http://yukatakara.ti-da.net/e3201123.html

   

Posted by ryujinoda at 13:08Comments(0)TrackBack(0)Yuka Takara

2011年10月24日

MAGICAL CHAIN

 ウルフルケイスケ&リクオ「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」の2日間が終わった。リクオさんが沖縄にやってくると連日深夜まで飲み屋を徘徊することになる。とはいえ翌日の仕事もあるので、睡眠時間とかアルコールの分解速度とかを酔ったアタマで考える。今夜は、居酒屋HUB→smoke→別館というコース。スタートが23時半で3時半強制終了…。


2011/10/22@さんご座キッチン(桜坂劇場)

 2日間のライブは、熱かった! ロックでソウルフル。2人ともスターで華があるし、徹底してエンターテインメントしてくれる。足を運んでくれた方には相当に満足していただいたのではないだろうか。

 リクオさんと最初に会ったのは、いつだっけか…。初来沖の時の雑誌のインタビューだった。その後、山口洋さんや宮城県白石市のカフェミルトンつながりの中で、沖縄でのライブをブッキングさせてもらうようになった。

 ウルフルケイスケさんとは実は3度目。最初は10年以上前、ウルフルズのインタビューの時。その時は沖縄から熊本まで出かけて、ホールの楽屋で話を聞いたのだった。2度目のときは、とても印象に残っている。今回、ケイスケさんとその時の話をしたら、私以上に覚えていてくれた…。

 2002年7月13日、遠藤ミチロウさんと中村達也さんのtouch-meと三宅伸治さんのジョイントツアーを沖縄でブッキングしていて、その日は宜野湾のK-mindでのライブだった。(今考えるとかなりすごいブッキングだな…)翌日のライブのために沖縄に前乗りしていたウルフルケイスケさんとキーボードの伊東ミキオさん、ウルフルズのベースのサポートの方が参加して、即席のバンドで演奏をすることになったのだ。さらにドラムに中村達也さんまで参加した。で、三宅さんがつけたバンド名は「キャンディー・ブルース・ハーツ・クラブ・ハリケーン・バンド」。最後にはミチロウさんが加わって、ハンドマイクで「仰げば尊し」で、まさに熱狂的に締めくくった。
 さらにオマケがあって、「末期ガン」だと話す若い女性が本番終わりで気を失って救急車を呼ぶ大騒ぎに。結局、何ごともなかったんだけど、目の前でめまぐるしく起こるあれやこれやが、なんだかテレビドラマみたいで、とても不思議な気分になったことを記憶している。おそらくこの20年の間にオーガナイズして来た印象に残るライブをあげると、トップ5には入る、そんなライブだった。
 そんな古い出来事をケイスケさんも覚えてくれていて、とても嬉しかった。“MAGICAL CHAIN”は9年の時を経てそんな風につながったわけだ。


小池さん、いつもありがとうございます!  

Posted by ryujinoda at 21:31Comments(0)TrackBack(0)日々